今のあなたのライフスタイルは、どのような状態にあるでしょうか?

それぞれが今取れる最良の選択肢を取りつつ生活をしていると思います。
中には、ベストとは思えない選択の中にいる人もいるかもしれません。

今回は、私が今のライフスタイルに至るまでの経緯を記して、一つの例として捉えて頂ければと思います。
もし共感して頂けたり、何かを考える機会になれば幸いです。

変わり目は音楽にハマったこと

大学に入学する前、ゲームがずっと好きだったので、数学が好きだったのも相まって、なんとなくプログラマーになろうと思って、情報系に進みました。
そこで当時、偶然吸い込まれるようにテレビに釘付けにされた人がいました。
シンガーソングライターとして一世を風靡した彼女。
録画した番組をなぜか何回も繰り返して見ていました。
その時に偶然、祖母の家にアコースティックギターがあったので鳴らしてみました。
本当に偶然。弾いたことも生で聴いたこともなかった18歳の僕がその鳴らした音を聴いて、音の響きにただただ感動しました。

それが音楽との出会い。エレキは高校の時に買ってチョロっと触っていましたがコードとかなんとか全くわからなくてやってませんでした。

でもそこからのアコギとの出会い。僕の大学時代の始まりは、アコースティックギターから始まりました。

それからというもの、当時流行っていたモバゲーの掲示板にギターを弾いた音源を上げてみたり、たくさんのギター初心者耳より情報をネットから収集したり、あとは曲をひたすらに家にいたら練習する日々でした。単純に楽しかったからです。
タイミング的にも、大学に軽音楽部があり、しかも同じ学科のメンツがいて、そこから一気に交友関係が広がったのもありました。
そこから4年間、ずっと付き合っていく仲間です。

それからはバンドを組んで、たまにライブをして、メンバーが様々な事情で入れ替わりながらも、途切れることはなく活動していました。
ライブ活動こそ活発ではなかったですが、毎週の練習は必ずやるというスタイルでした。
こうしたある意味爆発的なタイミングによって、のめり込んでいったのです。まさしく青春であり、楽しいを絵に書いたような体験が、音楽にはありました。

就職の挫折

大学内では、大学院まで行ったら東京でしか就職ないよという話が広がっていて、僕も東京という刺激のありそうな土地に憧れがあったので、
そこにそんなに疑問を持つこともなく、むしろやる気を持って何度も宮崎から飛行機で飛んでは東京にやってきて、4次面接まであるような
企業を受けて、よくライブ参戦の遠征をしていての繋がりで泊めていただいたりしつつ、就職活動をしていました。

しかし、途中までは行くものの、途中から進まない。いわゆるお祈り。
もちろん詳細の理由もわからぬままでした。

それで結構凹むもので、受からないというのは、多感である時期の自分でもある中、喪失感を感じるには十分でした。

そんな中、地元では有名で一番大きいIT企業を受けることになるのです。
宮崎に住んでる人は名前を言えば知っててCMもよく流れる会社だったので、親の勧めもあり、受けました。
結果は地元国立大学院の情報卒の肩書きだけでお客様扱いかのようにスルスル通りました。
あっけなさと、なんとなく「そうだよな」しかなかったのを覚えています。
特段の喜びがあったわけでもありません。
バイト先でも会社名を言ったら受けが良かった、人事の人がとても喜んでくれたことが覚えているくらいなものでした。

会社員生活

それから1年間、宮崎本社勤務でした。
その時もバンドは続けて、メンバーこそ違いましたが、お金の余裕とメンツがライブしたい勢のメンツとなり、
学生時代よりバンドが活発になり、月1のライブと週1の練習が定例でした。

そして仕事では新人だったので教育を受けつつ、それとなく続ける仕事。
開発をしていましたが、何やら東京に人を送るような話が出ているような話が会議で上がる。
若い人材が欲しいとの話も。
何となくそんな空気を出されている中での、転勤辞令でした。

それは、バンドの流れも熟成された中での、レコーディングの予定の話もしていて、ギタリストも加入して4人で活動していこう、
そんな中でした。もし転勤を断って他の就職先の受け皿のある土地柄だったら、このような外に出るような環境でなければ、なんてたらればの話をしたら、
色々と違った話になっていたこともあるかもしれませんが、東京への転勤もあること、東京での生活をどこか狙っている自分もいました。

タイミングこそ最悪でしたが、そんな中で東京、正確には神奈川に行くことになりました。

幸い、宮崎でお世話になっていたライブハウスの店長さんと新宿でライブを見に行く機会をいただき、
東京での音楽仲間の繋がりが出来ました。
この出会いがなければ、その後の生活も、今の生活も相当違ったものになったでしょう。
なんせ今では親友なのですから。

それから神奈川での生活となり、バンドもするのですが、正式メンバーとの繋がりはなく、あまりふるわないまま、また仕事がヘビーで憔悴するような日々でした。

そんな生活の中、半年でお客さん相手の事業縮小により、僕は別の場所で仕事をすることになりました。
それが北九州でした。

今となってはシンガーソングライターとして初めて活動を始めて、会社員として2年勤めて、ライブ活動でたくさんの出会いがあって、
とても深い繋がりとなる土地になりました。
そこでの仕事の技術的な経験、音楽でのたくさんの出会いやかけてもらった言葉、経験はたくさんのものを与えてくれました。

今回はその生活の詳細は割愛しますが、その後に北九州で身につけた技術(プログラミング言語C#の経験)を宮崎で活かして欲しいという辞令がおりました。新人を新しい技術を身につけるためにトレードの話が上がってのことでした。

とはいえその時僕は、元からフリーランスでの生活を模索していたこと、また、音楽活動を福岡という土地で経験して、もっと大きな環境でやってみたいという意識が向いていたことから、もう話をもらった瞬間に取る行動は決まっていました。

「東京に出てフリーランスになって音楽活動をしながら生活をする。」

上京に向けて

それからは北九州での生活もいいかなと契約手続きまで完了していた車の納品のキャンセル手続きに追われて、
退職手続きから次の仕事、住居、お金の管理、北九州の人との壮行会まで、忙しい日々を過ごしていました。

そして北九州の初めての自主企画イベントが終了したタイミングで上京しようと計画を立てていたため、そこからの上京です。
住居の手続きは全てメールや郵送で済ませて、時間やお金様々な都合でネット上で即決した下北沢の物件。
数日後にキャンセル待ちが発生したため、ギリギリの判断でお気に入りの住居に決まった折、引っ越してきました。

それからはせっかくの上京生活なので、仕事は探しつつの1ヶ月、いろんなところに遊びに行って、友人と悠々自適な生活をしました。
最高に楽しかったです。音楽活動が作った繋がり、音楽が好きでよくお気に入りのアーティストのために遠征した繋がりは、本当に厚いものです。

そしてはじまったフリーランス生活。収入は2倍以上となり、上下の関係もなくなって、精神的な楽さは比較になりません。
なんせ上下がなくなったので、比較するようなことでもありません。
また、フリーランス生活なので、仕事として週5で勤務していますが、一つの事業に過ぎないとも言えるのです。
音楽の事業もしている。と言える。
それは定義そのものからも自由を感じさせてくれるものでした。
期待したことはそのままに叶えてくれたのが、フリーランスという形態でした。

これから

そして僕は、音楽活動をまた始めようとしています。
演奏動画などあげてはいましたが、またライブをして、活動をしていくというのは、ちょっとお休みしていました。
上京したてだったので遊びたかったのと、仕事に慣れが欲しかった、また、曲を作って、東京デビュー笑ではないですが、新曲を準備しています。

これからの生活の構想もあるのですが、その話はまたの機会に取っておきましょう。
ライブハウスでお会いできると、とても嬉しいです。
何せ遊びに来てもらえることで、活動することの意味に繋がり、そこでの体験や曲に触れることで、感じて欲しいことがある。
そんなことを伝えられるライブにしていきたいと思います。

終わりに

いかがだったでしょうか?

少し特殊なルートだと思うので、面白かったのではないでしょうか?

自分でも読み返すと、どんな感じでやってる人なのかとか思っている人にとっても面白い内容ではないかと思います。

振り返りも兼ねて面白かったのと、書いてみると伝えたいことも枝葉の中にたくさん出てきますね。

またブログでもお会いしましょう。

読んでくれてありがとうございました。