自分で考えられてなければ、誰かの意見を元に動くしかなくなります。

それは納得感を伴わないものです。

自分で考えるって、時間もかかればうまくいくかもわからないことです。

まるで出口が見えないまま歩くような気もしてきます。

だがしかし、自分なりの答えが結実した時の感動は計り知れないものです。

苦しい時期でも好転できるように、動いていくことですね。

何を信じれば良いのか

与えられたものであれば、答えが決まってるわけなので、どう解くか?が主題になります。

方程式の解を求めるわけです。

しかし、自分で計画を立てて実行するのはわけが違います。

方程式を自分で作るのです。

だから何を方程式に入れるのか、考えないといけない。

その方程式の中に、自分が作った方程式だけを入れるのか、誰かの考えた方程式も含めるのか、など形はあると思いますが、

それにしても自分で考え抜いた、純な結晶のような方程式ができたら、解くだけでワクワクしそうですよね。

つまり自分の考え抜いたことを信じることです。

答えの居場所

答えの居場所が簡単にわかれば悩むこともないのですが、
こればかりは直感としか言えない所です。

自分が突き詰めたいことをひたすらに突き詰める、ってことです。

余計なものを挟む余地はありません。

突き詰めることです。

甘えを残すことも許されないのです。

その甘えを超えたあとが答えだから。

徹底的に突き詰めることです。

不安感の幻想

その場凌ぎの行動に意味はありません。

その場を凌いでるだけだからです。

その場じゃなくて人生を凌がないと。

凌ぐのは人生ですよ。自分の。

自分の人生を凌ぐんです。

誰も代わりに凌いでくれないですし、凌いでくれてるように見えても、いいように使われる関係にしかなれません。
最低条件としてお互いが凌いで生きてることです。
どっちかが乗っかったらもう違うんです。

人生そのものを凌ぐって、そりゃ不安です。

我が身で凌ぐわけですから。

うまい話が転がってるわけでもなければ、うまくいくかも保障されていない。

その道を自ら考え抜いて進むんです。

でも不安の中を駆け抜けると、必ず達成が待っています。
達成がないのなら、不安に負けた時です。

だから、達成するまでやることです。

凌いでるなら、それだけ経験と考えが総出で議論するわけなので、その道のりを考えますよね。

ひたすらに凌いでいけば、不安は達成に必要な要素と気づくことができます。

心を折るのは、他でもない、自分です。

折った気にならないで、不安と向き合って達成に進むことです。