昼に寝てたのと考え事がたくさんあって眠れぬ。

人生は選択の連続だ、とはいうものの、無意識化でやっていたことのなんと多いこと。

意識して選択しようとするならば、簡単に選択なんてできない。

つまり精度がゆるっゆるの弱さだったことに気づく。

今気付けるのは、自分が使いたいように時間を使っている功名に他ならない。

何か望まない決まり切ったことをしていたら、考える間も無くタイムオーバーが来てしまうからだ。

イチロー「精神的な脂肪がついてしまうこと。これは取れない」

怖いことって、精神的に歳老いてしまうことだ。肉体にも出てくると思う。

僕がやってる断食や冷たいシャワーを浴びるといったことは、元の原点に戻る気持ちを持つためにやってることである。
3食必ず食べること、も歴史は深くないのに常識のように今では言われてるし、信じて疑わない。
これがまずい。

根本でいえば、肉一つ食べるにも、獲物を仕留めて調理してやっとこさ食べられるものだ。
きっちり管理して出来上がった世界なので近くでサクッと食べられてしまうが、当たり前なことではない。
数々の歴史か過去の人々の産物から、そのような環境が生まれて、それを当たり前のように生きることができる。

だから、決して当たり前ではなく、誰かが、今まで生きてきて死んでいった今までの人が作って来たものが、目の前に広がっている。そして、自らもそういうことを次に進める力を秘めて生きているわけだ。

感謝もそうだが、自らの力が世界を変えていける力を持っているということだ。

スティーヴジョブズがいたから僕は今Macを通してこのブログを書いている。

例え話だが、スティーブジョブズがいなかったら僕はまだ重量のある、スペックの低いPCで四苦八苦してるかもしれない。

そうでなくても誰かがやってたなんて野暮なこというのはやめてくれ。

君と僕との話だ。

話を戻して、精神的な脂肪はつけたくないし、ついたら落としていきたいってことだ。

ガンジーは断食して暴力を振るうことなく抗争を止めた。

抗争を止めるまで断食を続けると。

抗争のある時代だって、周りは同じ人だ。

そのような意志でずっと食べずにいる人を何日も見てると、不思議な気持ちになってくる。
何がそこまでさせるのか?
自分がしてることは軽はずみなことではないのか?
色々と当時の人は考えただろう。

僕は、目の前の欲に溺れることなく、人としての尊厳と向き合って生きていきたいと思っている。

閉じた世界に閉じこもっていること

皆が現状に満足して、特段自ら決めてきたことだしそれでやっていくのならば、特に何もいうことはない。
だがしかし、自殺者の多い日本だ。
Twitterで拡散されていた、会社勤めをしていくうちに、正常な判断能力が失われて、「電車に飛び込んだら明日会社に行かなくて済むんじゃん」って考えに至るやまい。
良心を利用した会社内で起こる不和の数々。
互いが手を取り合うようなことではなく、足を互いに握ってがんじがらめにしていく。

親だってきっと、悪気があって、その良さげな会社に行ってもらってるわけじゃない。
しかし、親の安心のために子が犠牲になるのだろうか。
他ならぬ自分の人生が、誰かのエゴによって潰されることがあって良いのか。
答えはノーだ。

誰かのため、誰かのためを搾取されやすいのが、日本の大きな問題点だろう。
自分のために生きることを置いてけぼりにしやすい。
国によっては仕事の納期より自分のバカンスを優先する国だってある。
知ってることだけが常識であるということは全く違うということを知っておくことだ。

もう早くからソクラテスが「無知の知」と説いている。

自分の人生を選び取ること

穿った見方に聞こえるかもしれないが、「その人生で楽しいのだろうか?」と思うことがある。
正直にいえば、思うことがある。

選ばなかったことの人生で得られたであろう喜びは、選ばなかったら得られない喜びなんだ。

だから、その喜びを捨ててまでその選択を取るのか、は自分に問わなくてはならない。

なぜか?

死に際のベッドで満足した気持ちで死ねないからだ。

「なんだ、いい人生だったな」と思うのか、「あいつさえいなければ」と思って死ぬ人生なのか。

人生は自己責任。どういった結果になってでも、自己責任であるが、いくつの気づくかどうかのスイッチをちゃんと気づいて押せるだろうか。

ミスチルの「未完」にこのような歌詞がある。

「満ち足りた顔して見えても 実際みんな退屈そうだから」

だから立てつこう、ユニフォームなど脱いでしまおうと歌っている。

テレビで一度見た人、聞いた人もいたのではないだろうか。

どのように受け取っただろうか?

僕はもどかしかった。それを聞いてスーツを着て仕事に行く自分が。

でも仕事するしかないんだよって心で悪態をついた。
なんとも空虚な悪態を。

これを聴いている自分がいるのに、行動しないでいる自分を。

いつまでも、ぶら下げられたニンジンを必死で焦って血眼になって走る馬、ニンジンを吊るしてまたがる人間、それを指示した人間。
この3つの構図で動く世界は窮屈そのものだった。
特に今の20代が選択するワークスタイルとはとても思えない。働くことに集中したら年金含め安心した人生を送れるというパックのプランはとうに破綻している。

仮にその幻想を持った親、そして疑わない自分であるなら、選択肢はなくなっていき、無意識の中でたくさんのタイムオーバーを迎えている。
それは肉体的な死ではなく、精神的な死と同義ではないか。

生きるためには、自分で選択すること。
それが、生きているってことではないか。