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昨日はレコーディングをしていました。
一度やってしまうと手慣れてきます。

やってしまうとあっけないもので、まずはやってみることの大切さに気づきますね。

不安は行動で消える

やる前は不安がたくさんありますが、やっていったら諸々付加される理由で帳消しされていくんですね。
前の不安の消し方は計画を立ててそれにそって潰し込みでやってて、それもいいですが、
行動していったら消えていくものなのだと知りました。
もちろん、どの行動をとるか?の洗練はしていきますが、ある意味計画も保険だし、先々の目指すゴールを自分からひねり出して、
そのためのアクションをひたすら取る、というシンプルな手順でしかないのだと思います。

親の心配

最近親に関する記事を見て、親も様々だなぁと、よくよく考えると当たり前ですが思って、うちの場合はけっこうな具合で気にされる方です。
なので音楽でやっていきまっせって話には、不安になるようで。
って、当たり前かもしれないですけど、話をしていくと、「自分がいなくなったあとのこと」を考えている、ということがわかりました。

そこは僕も同意で、その時に、どう生きていくのか。って考えたら、「やりたいことで幸せを見出すしかない」と思うのですよね。
サラリーマンで保証のある中での生活は金銭的な不安はそうないかもしれないですが、正直うまくやってる人だって楽しそうにやってる人は見たことがありません。会社に貢献という名目で社内政治上の都合でなんにも価値にならない仕事をやってたりします。だから「これも貢献になってるんだ」より「これって意味ないよね?」って思う方が人間的ですよね。「これも貢献になってるんだ」って思った時間だけ死んでるようなもんです。

3年半のサラリーマン生活ができて一般的な会社員という経験を踏めたのもおいしいというかありがたいことですが、
僕は全員がフリーランス、つまり個人事業主になって有機的に繋がっていくのが今の目指す方向だと思っているので、
自分のやりたい!がお互いに作用しあって「この人の為になりたい!」という自然衝動的な気持ちで動いていくのが気持ちいいし楽しいですよね。
言葉にすると至極当たり前なのですけど。

[形動]有機体のように、多くの部分が緊密な連関をもちながら全体を形作っているさま。「有機的な構造」

有機的って言葉が非常に合ってると思います。

個人事業主になって変わった感覚

個人事業主とサラリーマンとなって何が変わったか?といえば、すべて自分ごとになります。
・毎月定額で入る給料というお金を安定して支給するということ
・自分の受け持った仕事以外の諸々の調整は総務など他の部門がやってくれてるから気にしないでいい
と言った、サラリーマンなりのメリットもあります。
これって実はけっこうすごいことなんだなー、と個人で動く身になって思います。

そして個人事業主で思うことは、すべての行動やアクション一つが身の上に関わってくるので、いわゆる保証なんてありません。
って、会社だって何かあってどうなって保証があるかってより、個人で動いて社会的に求められた価値として存在した方がいいに決まってるのですけどね。
あとで会社傾いたら食いっぱぐれて再起も相当厳しい、ってどこが安定してるんでしょうか。

こうしてブログだったり、ネットで自分を発信する手段があって、路上などで音楽を届ける場があって、これは誰かが奪えるものではないです。
僕が息をしていればアカペラでだってその場で歌うことができる。
会社の仕組みに乗っかって生きた時に、その仕組みがなくなって荒野で赤ん坊のように呆けるしかできないなんて、もはや情けないです。

僕は生涯現役でいますし、一般では65歳で定年退職してあとは年金でフリー生活、なんてことですが、国の準備している一つのプランにすぎないのです。のるかそるかは選択権があります。

だから若いうちで海外に行ってみるかもしれないし、歳とっても曲作ってブログ更新していますよ。80歳でも更新していますよ。
100歳までは生きたいし120歳まで生きたいとも思っています。

お金の使い方に人となりが現れる

フリーランスエンジニアは、収入の面が非常に大きかったので、お金のある生活、ってのもしてみました。
結論からいえばあまり意味はありませんでした。どちらかといえば「見栄」だったり、「自分はそういうことができる人間なんだ」、ってつまらない欲を
満たすことしかできませんでした。何も楽しくないし、イロモノでしかないとわかりました。

最終的には、「自己実現することでしか自分の心の根の気持ちを満たすことなんてできない」。
それが一般的に羨まれるくらいお金が入って食べたいものを食べたりして思ったことです。

もちろん美味しいものを食べられたりするのはいいので、本来本当にやりたいと思っていることをして、さらに食べたいものが食べられて、
とすべてを総合的に底上げされた形で実現されていくことが、最上である。ということです。
どれが欠けていてもそれは見せかけ、まやかし、本当の満足とは程遠い事実が並ぶだけである、ということです。