自分は毒されていないと思っていたが、見事に毒されていることに気づいた。
それはじわじわとしみ込む毒のように、いつの間にか心を支配して。

僕は会社で働くことが当たり前だと思っていた。
フリーランスになったって、会社に入って働いているのだから、立ち位置は変わっただけでやってることは変わらない。
ストレスだって減ったが、肝心な自分の自由とは程遠かった。

自由でやろうとしてる人は、一般的な話からしたら異常なことをしてたりする。
おそらく、そう表立って出てくることはない話だろう。
だってオープンにして不利益しか出ないのになぜ四方八方に公開するだろうか。

だけど、そこが肝心の成功の肝であったりする。

僕も後日談で話せればいいが、中々際どい中を歩いているようにも思う。
人によっては、それすらも可愛い子猫を撫でるようなものかもしれない。

蝕む力は強力で、自分で回避していると思っていることでも、ちょっとでも気を許すと急速に蝕んでくる。
その勢いは絶大で、かつガンのように進行し、見事に人を殺す。
ガンならわかりやすく外見で進行するが、こと心に関しては外見ではわからなかったりする。
その分、ガンより厄介ではないだろうか。

何かを叶えるのであれば、それなりに捨てるものは必要だ。
まるで代償のようで、血を流しているように感じるかもしれないが、そうではない。
蛇が脱皮するように、いらなくなった皮を捨てて、次の新しい皮膚になるように、いらないものを捨てた。
そんなもの、代償でもなんでもない。

直感的につかんでいるものを、全て叶えていけるかどうか。
また、叶えていく道中であれば、さらに叶えていくための手段にたどり着くだろう。
そういった人に出会っていくのだから。

だから正直、心からやりたいことであるなら、、一体何を遠慮するのだろう、ということだ。
そこでの遠慮は、夢から遠ざかる手段にしかならない。

もともと、セオリーはあっても、本気で叶える時に、そんな遠慮で生きる必要などこれっぽっちもないはずだし、
夢を叶えるために本気で動いている人と、その周りで関わっている人が、夢を叶えようとすることをなぜ迷惑に思うだろうか。
思うとすれば、それは夢を追いかけていた人が諦めようとした時だ。


職場という環境に戻れば、この考えが一気に縮小することはわかっているし、
本心もわからなくなるし、人にあたるようになる。
その環境に身を置いてしまうことは、誰かの夢すら邪魔することになるということだ。

逆にいえば、自分が夢を叶えるということは、誰かの夢を叶えることと同義でもある。
なぜなら、自分が夢を叶えることが、誰かの夢を引っ張る原動力となるからだ。
ならば、夢を叶えることは、個人的な目標ではなく、社会全体として、また周りの人の夢を叶える一助として機能するはずだ。

そんな道すがらにいる。