時間を消化してる時と、時間を吸収してる時がある、と思う。

それはその時間を無駄と思っているか、時間を使うことで得るものがあるかの違い。

消化しているというのは、自分に取って無駄と思う時間を使っているから、焦る。し、極力その時間を省こうという意識が働く。
また、吸収している時には、先々に取ってプラスとなる時間であり、それがよく働いてくれる期待があるからそちらに時間を使う。

時間を本当は無駄と思っていることに捧げ過ぎると、それが無駄と思っているという感覚は失われ、普通となってしまう。
それは普通ではないという状態を忘れる。微弱な電気ショックを床にずっと流されているところで生活しているうちに、その電気ショックを受けている状態が
ノーマルと思ってしまうということだ。本当は電気ショックを受けずに快適な世界があるはずなのに、みんな電気ショックの上で生活しているから、それが
普通の状態と思ってしまっている。

しかし、本来であれば違う。
やりたいと思っていることは、基本的には、他の人のやっていないことか、ほとんどの人がやっていないこと。
それが自分のやりたいことであるはずで、デートをするとか、どこどこに遊びに行ったとか、ファッションとしての関係性を示すのは、
自分のやりたいことと言うより、世間的に認められると思っているからやっていることであって、それをしている間の自分は楽しくないか、
もしくは一時的な麻薬的なものによって満足を与えられているようになっているだけ。

つまり、将来的な満足や先々に広がっていく世界に繋がる道がないということになる。
それでもレールに乗っていれば普通に生活できてしまうのが日本のよくあるルートとしてよくできているが、
これは日本が労働力を必要としている中での名残であるとも見える、そのため自分の希望していることではなく、
国の希望していることであり、そのために国は様々なサポートをするように、例えば失業手当だったり、様々な制度を準備している。
(ちなみに、個人事業主でやっていく予定、であれば、失業手当は支給されない。)

そして、今のご時世においては、国の準備してくれた仕組みが人の幸福に作用するとは考えにくい。
ネットが広がり、個人でやれる範囲が広がっている中で、自由を拘束するような仕組みが有効でないことはすぐにわかる。

事実、それが仮に理屈でわかっていてもそれに対しての対処が浮かぶか、実行できるかは、また一つ踏み込んだ話だが、
わかっている人がいるように、わかっていない人がいるように、ある意味必要に応じて現れるものだし、必要に応じて現れないのかもしれない。

自分の人生一つしか生きれないので、それを全面的に理解することは難しいと思うが、自分の希望すること、目指すところに対して、
歩を進めることを阻むことだけは、すべきではないと思う。

つまり、進むしかないということ、なんだろう。