私信のような内容ですが、

上京してフリーランスとしてやっていくのは、中々ヘビーな決断でした。
そのまま正社員として宮崎に転勤を聞いていれば、そのまま上の(設計とか)仕事をして、社内の人に頼ったり、頼ってもらったりしながら、
順当にキャリアを積んでシステム開発に勤しみながら、ゆっくり宮崎で暮らしていたことでしょう。

しかしそちらは選ばず、東京へとやってきた。
かつ正社員という立場も捨てて。

このままフリーランスのエンジニアとして、ただ企業向けに働いていても、食うに困らず、好きなものを食べて好きなところに住んで、
自由に暮らすこともできるでしょう。

しかし、、

半年ほどそうして働いて、そしてブランク期間をおいて思ったことは、自分の意思で選択して仕事することの有意義さです。
ここでいう仕事とは、個人的にネット上で仕事を受諾したり、オープンマイクやライブハウスに出演してみたり、といったことです。
これは中々刺激的な体験でしたし、自分の本心に続く道だったので、すんなりと受け入れやすく、また将来の展望に期待を持って生活することができました。

自分の思いついた時だったり、必要に応じて仕事をすることができますし、鬱蒼とした会社という中で時間をとって仕事をするということから離れた時の
気持ちの安らぎはとても大きなものでした。(会社だとたまの理不尽に心を乱されたり平日の時間縛りで融通が効かない生活のしにくさがネック)

東京に来てしまえば色んな人がいるもので、宿無しでネットから個人で仕事受諾して時間的に自由に暮らしている人だったり、
路上の投げ銭だけで生活している人だったり、本気でプロになるためのステップを着実に踏んでいる人だったり、
と自分の中のセオリーなんて誰かにとっては、いい意味で取るに足らないようなもんなんですよね。(自分にとっての常識が崩されたと言っていい)

僕としては不思議なんですけどね、将来なんて保障されてなければ、見通しも立たない道とも言えます。
でもロック歌いながらレールの上走ってるも笑えてきますが、むちゃくちゃするのとはちょっとわけが違うと思いますし。
きっと見通しが立ってるって国や会社が用意してるだけなんですよね。

生活のために生きているより、やりたいことのための生きている、そしてやりたいことのために生きている人は、はたから見たら常軌を逸しているような行動に見えることもあるのかなと、思ったりします。

幸い上記のような繋がりで、色んな人の話や世界を知ることができていますが、いそいそと会社という枠で働いて安心してる自分って小さいなぁって思います。
(契約上はそうじゃないですが対企業との契約で仕事して勤務時間は会社員と変わらないのでそう表現します)

口ではこれがしたい!と言っても、それをするためにある程度のものを捨てなければそちらに行くのは厳しい、
でもそれを捨てなければ何ヶ月何年という時を捧げなければならない。
そんな時にしたい!ってことが選べないのだとしたら、それはしたいってことではないのではないか。ってさっきふと思って、え、飽きたの?と少し思った。

僕の中で大事にしている感覚がいくつかあって、いわゆる一時的に楽しい!って感覚って、
それに甘んじたらダメだな、って思うようになってるんです。
つまり、ライブが終わったあととか、アドレナリンが出てて興奮状態になってて、しかも楽しい感覚、もあるんですけど、
それって、自分が楽しいだけなんですよね、それを感じてるだけだったら。
けっこうシビアだし、そんなこと考えてたら楽しくないっしょ!てのもわかる気がするし、そこが楽しみでしょ!ってなってもわかる気はするんだけど、
そしてその時ってけっこうよかったー!!って思ってたりするんだけど、突き詰めるとその時の自己満の世界ではないのか?と思ってしまうところがあるんです。

アルコール摂取してハイになって楽しくなってるのと一緒です。
その時は楽しいけど、ライブをもっとよくできたかもしれないし、
例えば職場で仕事が中々終わってない状況の人がいて、しょうがない、今日はがっつり付き合うよ!できた!!やった〜!!って日も、
もともと計画立てつつやってたら平穏に終わってたかもしれないし、そこがコントロールできていたらもっと仕事できてたかもしれない。

効率化とか、たくさん仕事をあげるほどそれが良い、とも一概に言えないかもしれないし、そういったことが楽しみの一つなんでしょう!もわかる気もするし、
実際にそれで手助けをした後は、家に帰って「あー仕事したなー!」って気持ちになれますしそういう経験はあります。

でもこれ長い目で見たら大した意味なくね?って割と残酷な事実に気づくというか、思うんですね。

僕はわりかし自己肯定感が強くていわゆる闇落ちってあんまりしないんですけど、しなくなった、と言った方が正しいですね。
自分で選択しているんで、それで降りかかってくることって自分が選択したことなんだから、それが他のせいってことないじゃないですか。
だから、自分が選択した結果として現れていることであって、それがどんな結末となろうと、その引き金は自分が引いているのに、
変じゃないですか。
銃口を自分に向けたのに、打って死んだら文句言うんですかね。

今僕としてはいて欲しいなーと思うのは、共通の目標を持った人です。
音楽の個人活動で大きな動きをしている人。
同じ目標を持った人、って、多分いるんですけど、関わりがなかったり、する。
それと自分が気になってることがあって色々と手を出したりしてますが、折り重なって結実してもらいたい、とも思わなくもないけど、
思うことは、何かしか選べないということです。
選んだ分だけ、何かを手に入れるし、何かを手放さないといけないんです。
これは、給料という決まったテーブルの上で動いているだけでは生まれない感覚です。

働くは働くとして両立する手段もあるけれども、メンタル的な負荷もかかることも事実です。

まだまだ、考えてみようと思います。