いつも同じ色彩を帯び、変わらない。
それは同じことが1カ月もあれば達成でき、3カ月もあれば事実になる。

慣れは怖いもので、麻痺してしまうものだ、その感覚に慣れてしまうと。

それがなりたいものの麻痺なら関係だ、しかしなりたくない麻痺だって含まれてちゃやなもんだ。

見方次第で世界は変わる

アドラー心理学の話だが、自分の見方で、世界を複雑に見ていたり、シンプルに見ていたりするってことだ。

そりゃそうじゃん?と思うだろうが、実際どれだけ実践して、どれだけシンプルに見れているか。
言うなれば上限などないだろう、シンプルに見てる世界を、さらにシンプルにすることは可能であろうからだ。
だからシンプルに見れているよ、となると、ゴールなんてないものなんだから、わかっていないのではないか?となるわけだ。

相対的に見てあの人よりシンプルに見えてるはずだ、も、自分の主観からそう見えるに過ぎないし、
よくよく話を聞くと別にその人にとっては悩みでもなければ、ただ気づいていないだけかもしれないし、
ゆっくり聞いてみなければわからない。

シンプルな世界はどこまでもシンプルになるし、それをずっと道すがら歩んでいくことはできる、と思うのだ。

ちょこっとしたことで変わる

この瞬間に、幸福になることができる、と説くアドラー心理学は、ものの捉え方次第で幸せになることができると表しているだろう。
僕としては、それはちょこっとしたことで、いやと思っていたことが実はそんなこと相手からしたら誰も気にしていないし、
むしろどうでもいいことかもしれないし、それを自分が不満に思っているのなら、周りにそう思って欲しいという願望があるということだ。
つまり、本来の自分の望んでいることと現状が異なることへの嘆きであり、気付きとなる。

それを受け入れたら、それの解決策は、その状況がなくなることだ。

それが決まれば、自分の解決したい事柄は認識できる。

それならば、どうやって解決するか?である。

どんなボリュームの話であれ、第3者から見ても理解のできる道筋、という形で、
その道は作られていくものだ。

思い出させてくれる人

僕は結局のところ、自発的なものの限度はあり、誰かの何かに感化されて行動となる、のが根源的な力の源だと思っている。
それは仲間意識だろうし、群れをなして生きたい動物的本能でもあるだろう。

気にかけてくれているんだとわかる存在、暖かい言葉、これからのこと。
道を目指していく中で、注目してくれて、その後の自分を楽しみにしてくれている人。

そして、自分の中のものと、それまでのもの、これからのもの、すべてを想起し考えさせてくれる仲間。

熱い熱い話だ。

どこまでだって展開するし、生きてくれているそれだけで、何かが始まるかもしれない。
それは想像できないレベルで、想像を絶するものだ。

どんなにありえないと思っていたことだって、見方ひとつで起こりうるし、しかもそれが自分の中で取り繕うのではない、
自然発生的なものとして現れる。

アドラー心理学では、「人生の嘘」と表現されるが、本心に嘘をつくな。
向き合った先にこそ見える未来があり、芽生えてくる感情があり、道は開ける。

気持ちと異なる言葉を発した時、本心を殺すのだ。

本心と向き合えば、本当に大切にしたいと思う本心に向き合えば、それ以外は勝手についてきて、
小さな点を見ていただけ、広い視点に、後ろに下がって俯瞰すれば小さくて、あっけなく修復できる穴であり、
それはもう宇宙レベルで広がる世界を見るような気持ちでいることだろう。