こんばんは、広末です。

何かといいものを伝えようと思う時に、その他のこれはないと引き合いに出してしまうことがあります。

しかし、それは必要ありません。

自分の良ささえ伝えられたら、引き合いに出して何かいう必要はなく、伝わるものです。

自分の正しさで歩けばいい

他の過ちのようなことをアンチテーゼとしてただしさを主張する必要って、ないと思うのですよね。
何せ、好きにやったらいいじゃないですか。
それぞれ。
これはよくない!こうあるべきなんだ!!って、こうあるべきじゃね?ってやってみたら良いじゃないですか。

よくないことを引き合いに気にすることもなく、行きたいところへ向かえばいいと思うのです。

何かを引き立たせるための比較対象はいらない

これに比べて、これはいいんだってありますけど、それぞれで良いじゃないですか。
比較して、ついまるばつなど評価をつけますが、もうそれはそれとして単純に受け取れば良いと思うのです。

その時点で何か自分のあるべき論との比較が始まっているのですよね。
友好的な気持ちは薄れてしまうし、それぞれでやっていればいいと思うのですよね。

もし自分がもっとこうがいいっていうのなら、それをやって、それがいいと思う人がいたら、
そちらについてくるでしょうし、それはそれとして置いておけばいいんじゃないですか。

かえって優しすぎというか、それを気にする時間すら、もっと自分のこれと思うことに投資していこうって、思うんですよね。

まっすぐに

自分のやるべきと思うことをひたすらにまっすぐ、愚直にやること。
それしかないんですね。
誰がどうって、引き合いすら必要ないんです。
やる。ってことです。

究極的には、誰が何をしているかって、全く関係ないんです。
自分がやることに対して、誰がこうしてるなんて関係ない。
それを意識するだけで、そちらに引っ張られてて、
自分のやりたいことの純粋さから遠ざかっていく。

本当はただ、自分がしたいことをするだけ、という純粋な原石を作る作業なんですね。

触発されたり、影響されたりって、それはそれで混ざり合って影響があれば良いと思うんですけど、
それが仮面だったり、自分の意思を掻き消されたりしてることって往々にしてあると思うんです。

でもそれって他の人の人生です。
自分の思う人生は、間違いなく生きていません。

自分の人生を生きたいのだったら、人のいうことは聞かない。
それくらいの意思こそ、自分の人生を生きるということです。

誤解のないよう、この人と思ったら、逆にこれまでの信念全て捨てるように、受け入れて試して、実感できるレベルまで試して消化することです。