こんにちは、広末まさゆきです。

今日はあなたに奇妙な事実を伝えなければなりません。

それは、あなたが普段から悩んでいることが、
これまた全く、取るに足らないことであるということです。

なぜあなたは真面目に悩んでいるのか?

それは自分の希望の遠回りの為の理由を探しているに過ぎないのです。

「そんなバカな!」と思うでしょうか。

事実、そうなのです、残念ながらやりたいことをそうやすやすと渡すわけにはいかない、
人生の構成図がそこにはあるのです。

岩と見るか石ころと見るか

まずはあなたにこのことを話さなければならないでしょう。
まずもって、あなたの問題としていること。
それって、本当に「問題」ですか?

いえ、何も軽んじるわけではありません。
しかし、希望に対して、それが本当に問題と言えるほどのことなのか?ということです。

この問いを考えましょう。

あなたの希望していることは何ですか?

そして、それを叶えるために今頭にもたげていることは、問題になりますか?

そう、問題にはならないでしょう。

なぜなら希望の道すがらであれば、問題は問題ではなく、
前向きに解決すべき課題として機能するからです。

だから、問題というものは、まやかしなのです。
希望の道に行く上での、石ころに過ぎないのです。

岩ならどかして動かさないといけない気がしますが、
石ころならなんてことはありません。
道に転がってるだけかもしれないですし、多くてもただの砂利道です。

振り回されるか、確信の道を行くか

問題として上がっているのは、誰かしら個人に対しての抱いている感情ではないでしょうか。
確かにその不満はごもっともです。
しかしそれを個人的にどこまで汲み取る必要があるでしょうか?
そもそも、相手が自ら解決すべき問題を、無造作に振り回してるに過ぎないのではないでしょうか。

正直なところを言えば、相手はそれだけ、相手のことを考えていません。

驚くでしょうか?

様々かけられた言葉の数々が、あなたを考えてのことではなく、自己主張によってなされた言葉である、ということであれば。

非常に残念なことですが、相手にとって負担になってる言葉は、自己主張の色以外の意味を持ちません。

それを当人に表現することは、時として相手の負担になるだけです。

(こういった感情は音楽や記事を書く、日記を書くなど、個人的なクリエイティブ活動で昇華すべきです。そうすれば人の助けと繋がる話題へと変貌を遂げるでしょう。)

逆に、個人的な頭の中の由無し事を突如として表すのは、無意味であるどころか、相手の負担となり、フラストレーションとして跳ね返ってくる危険性もはらんでいるのです。

ではなぜ由無し事をよしとしないのか?これは見事に日本語で表現されています。

由が無いのです。理由がない、のです。

実はその不満は社会通念だったり、自分の理解している範囲内の考えであって、2人の間だけで発生している事柄についてのお話ですか?ということです。

それは2人の話に被せた、まったく異なる問題個人的な問題をはらんでいるだけでは無いか?は重要な視点です。

不要な悩みで頭を悩まされることのないように、また被害者にも加害者にもならないように、その問題点を相手に振るまでに常に自分の中で
自己の問題であるだけではないか、自問が必要です。

そんな悩みに触れることがなくなっていっていくこと、そして、希望の道へと進む道を歩むことが、本来進むべき道です。

そして希望の道へ

希望の道。

そう聞いてあなたはどう思うでしょうか?

そもそも、人は自分の望むように生きることに対して、誰かが咎める権利を有していません。

誰もが望むように生きる権利を持っている、と言えるでしょう。

そして希望の道に対して、悩んでいることは本当に希望を叶える上で悩むことでしょうか?

人をコントロールすることは、「できません」。

勘違いしがちですが、人をコントロールすることは、できないのです。

自らの選択に対して、共感し、手を出したい、そんな前向きな感情によって、人は能動的なアクションを欲します。

それ以外は全て瑣末なことでしょう。

人の行動、ではなく、人の言わんとすること、裏の言葉を汲み取るのです。

汲み取るに足ることでなければ、それは相手の課題です。心理的にきっぱりと距離をとるしかないでしょう。

距離を取れるかどうかは、自らの課題として取り扱えるため、コントローラーが自分の手にある状態になります。

相手のコントローラのBボタンに反応してる場合じゃありません!違います!!右手を上げてる場合じゃありません!!

そう、自分のコントローラを持って。そう。そう。

あとはBボタンを押して、自分の右手を上げるのです。そして口にあてる。

これで、安易に反応しなくて済むってもんです。

そう、私が言うからやるんじゃないです、私はやり方をお伝えしただけです。

あとは、自らの意思で、料理の仕方を選ぶのに、私がいる必要はありません。

瑣末な問題は、これで解消していきましょう。

あとは、自らの人生の使命となる、重大なことに時間を使いましょう。

そのために問題となることは、大樹の枯れ木に過ぎません。

枝葉、新しい葉を育てていきましょう。