もしかすると、あの人いいなぁ、あんな風になりたいなぁ、
なんてことがあるかもしれません。

憧れで目指す道標となるなら良いですが、そこから自らと比べてみたり、戦おうとしてしまっては、
自分に良い影響を与えません。

なぜかって?

良い質問です。

回答しましょう。

土俵が違う

まずそもそも、今の自分の状況と相手の状況が違います。

様々理由はあれども、そうなってしまっているのは、現実にそうなのです。
仕方のないで済まされるレベルではないこともあるでしょう。

だがしかし!!!
それでいて嘆くより、まず土俵が違います。
自分の立ち位置からのスタートでしかありません。

そこから、意外に目指すべき道が見つかるかもしれません。

もともと、やらないならやらないなりの、自分なりの考えがあったり、
やるならやるなりの、自分なりの考えがあったりします。

そして葛藤していることがあるのなら、何にしたって、手を伸ばすことは忘れないことです。

どこかで、こちらに転がったらまずいって時に、きっちりブレーキをかけつつ、
やった方が良いのだ、ってことに少しでも手を伸ばしましょう。

少なくともこれを読んでいるということは、何かしらそういった情報を探すための手段は理解していると思います。

あとは、じっとチャンスを待つのもあり、時が来たら行動に移すもあり、どうやったら行動に移すか、どんな風に行動を移すか。

もしくは気になっている環境に飛び込んでみて、そこから考えてみるのもいいでしょう。

詰むレベルだとかえって危ういことも、外的要因も見据えながらきっちり構えていきましょう。

目標は個人レベルでしか持てない

つまるところ、自分のやろうとしていることは、個人のレベルまでしか持つことはできません。

周りの理解でもちろんやれることもあるでしょう。

しかし最終的には自分です。なぜなら、それぞれにもそれぞれの目標があるからです。

それがチームとして一致している限りは進めると思いますが、そこが個人レベルでそれぞれの道があるならば、

そう歩むこともあるでしょう。

最終的には自分との個人戦です。誰がどうって話は、介在する余地などないのです。

やる気の元種にはなるでしょう。

他の人とのゴールは違う

最終的に目指すところは、個人的なものになるでしょう。

最愛の人と同じゴールを目指し、そこにゴールしたとして、精神的な充足は自らの感じ方次第です。
ものや形的なものは共有できても、そこで感じることのできるのは、己です。

人は、最終的には直感めいたものが一番自分の使命をわかっているものです。
その使命を捨ておいて、周りに合わせて糸の付いた状態ではない、
自らのゴールへと進んでいくときに、自らのゴールへとたどり着いていくでしょう。

その道は、誰が歩むわけでもない、自らの選択によってもたらされるゴールなのです。