もし何か悩みがあった時、信頼できる誰かに連絡を取るでしょうか?
もしくは惰性でよく電話をしている人にかけるでしょうか?

本来の自分というのは、最終的には自分にしかわかりません。
一番同じ時を過ごしたであろう相手でさえ、汲み取ることはできないものです。

普段のささいなことや好きなもの、ことは知られていたとしても、
心の奥底にあるものは、言葉では伝わりきらないでしょう。

それならば、何なら伝わるか?

それは「行動」です。

結局のところ、心に眠っていることは、現実世界に反映されて始めて自分以外の人に形を帯びて見てもらうことができます。

その人の状況、価値観に左右する

何にしたって、全てつきっきりで一人の人間が一人の人間とずっといることは、
よっぽど特殊なケースでなければないでしょう。

そのため、その人の全ての状況を把握し、伺い知ることは99%不可能です。

しかも仮にみていたとしても、その人が感じていることまで全てキャッチすることは不可能でしょう。
嬉しかったのか、悲しかったのか、その大枠がわかったとしても、
実際の心の動きまで見透かすことは、当人でもコントロールに手をやくこともあるかもしれません。

どうしたって、自ら書き出したり、考えたりして引き出して検討して、試していくしかない。

あとは時々で動く心模様を、自ら繊細に汲み取っていくことしか、自らの希望を汲み取って活動することは難しいでしょう。

全ては伝わりきらない不毛な相撲

仮に全てを話して伝えようとして、全てを伝えることは難しいでしょう。

結局のところ何ができて、どんな目論見があって、どんな心理で、何をしようとしているのか、それが叶うことで得られるものは何なのか。

言葉で伝えたとして、信じてもらうより他ないし、何か確実な当てがあるのか、というとそうでもないかもしれません。

もしかして本人が見てきた世界、考えている世界、感覚から、行けるのではないかと内面の確信めいたものがあっても、
相手がそれを全て感じ、尊重することは、信じるより他にむずかしいでしょう。しかもことによるほど、信じるとはある意味忍耐力を問われます。

どこまで相手の望む道へのルートを見据えていられるのか、が重要です。

そして、実現したいサイドとしても、最終的には結果で、行動した後の姿を見て、それは事実だったのだと相手に伝えることになるでしょうl。

した後の姿を見て理解する

結局のところは見て、その表情だったり、声色だったり、言葉よりもそういった何気ないところから、それが本当に好きであったことを気づくのです。

僕も本来やりたくないと思っていたことを1年間やっていて、その姿を見ていた人が、僕はこっちがやりたいとずっと言っていたことがあって、
それをやっている姿を見てもらった時に、「言ってる意味がわかった」と言われました。すごく楽しそうでイキイキしていたそうです。

だから、その姿を見て、本当にそうで、そういうことがしたくて言っていたんだな、と伝わるのです。

相手が信じてくれるようだったらまだ話しもわかりやすいかもしれませんが、最後は自分の感覚、特に直感が一番大切なものです。

本当は直感ではどうしたりどうなってるのがいいのか、なんて案外わかっているものです。

だからその道すがらで、気になって見てくれる人やらが、自然と気づいていけば良いだけの話しであり、自らはその道へと進むように様々工夫を凝らしたり、
考えて行動をしていけば良いのです。

結果は後からついてくる、なんて言いますが、口で説明するよりも、そのワンアクションが、何より言葉ではない大きな説得力を持つのです。