もしかすると、誰かの人生が気になって、もしくはこちらを気にかけて欲しくて、色々を手を出してしまうようなことがあるかもしれません。

しかし、実際のところ、相手がそれで自らの望む道に進めるものでないのならば、それは全て身勝手な言い分となってしまいます。

全てをわかった上で話すのは神様にお任せするとして、笑、しかしまず冷静に考えてそれは言ってみたらよくないだろう、と冷静な頭でしっかりと考えてみることが互いにとって良いでしょう。

特につい年下であったり、もしくはこの人わかってないなーなんて仮に思った時に色々言ってもはやそれが自然な状態になっていて言う側は既に気にも止めていない、なんてことがあると思います。

実際、相当危険なシグナルです。相手はその度に疲れてしまうでしょう。

距離が近過ぎたらかえって見えなくなってしまう活字のように、適切な距離だからこそ読むことができるのです。

そんなに目を近づけていたら、活字もただの棒です。もう何かわかりません。

自分の人生が置いてけぼり

まず自分の人生を考える、ことが先決です。
相手にあれこれ言いたくなるのって、自分の足りない部分を棚に上げていないか、考えるタイミングとするべきだと思います。
自分が叶えられないことを、この人なら叶えてくれるかもと、その人の希望していない期待を乗っけていませんか?

自分の期待する人生を生きるには、ほかならぬ自分の行動によってのみであり、周りの人の希望しない形を取ってもらうことではありません。
あくまでそれぞれはそれぞれの目的、希望を持って生きていることがあるのです。
それをほかの人が手を出すことではない。

自らの置いていって忘れてしまったようなことを、一度手元に持ってくるのが良いのではないでしょうか。

本来は刺激を受けて生産活動を高めるのであり、消費するのではない

もともとは、誰かからもらう刺激というのは、終わって気持ちかったー!で終わることではありません。
それを元にして自分も何かを生み出したり、それが誰かに見られて元気の源になったりして、
どんどん世界に浸透していくのです。

だから本当はお金を稼いだら、それを元にさらにそういう源を生み出すためのエネルゲンにしていくのが良いのです。
もしかすると、その場限りであまり意味のないことに使っていないか?もしくはもっと高めるための行為に投資できることはないか?

それが生活の質やお金の出入りの質を高める、大きなうねりとなっていくことであり、そういう活力の源にかえていきましょう。

相手も必要に応じて来てくれるくらいでいい

実際のところ、誰かと関わるのって、本当に必要な時に関わっていくのが良いのではないかと思います。
やっぱりずっと一緒にいると窮屈になってきます。もしかするとふとした時に、どうかなーってたまに浮かべてくれるくらいになって、
何か気になって、お互いにとって何か良いことが思いついたのなら、話をしてみる。くらいでいいのかもしれません。
本当は、必ず定期的に会うだとか、何かしら約束事でもしてないと成り立たないようなら、もうお互い望んでいる状態ではない、のかもしれません。

一定の距離も大切ですし、逆にちょっと遠くなりすぎたかな?なんて思うようなタイミングもあるくらいでいいかもしれません。

特にSNSなど常につながっていれるような時です。僕はTwitterを離れたい時には、画面の最後のページのフォルダの中に入れたり、
FasPosというツイートと@だけ確認できるアプリを入れてそれを使うこともあります。
実はけっこうな時間を使っていたりするのですよね。テレビしかり、消費系のものは、適切に付き合わなければ時間泥棒になりかねません。
しているとしたら自分、なのですが笑

なので、適切な距離を保つこと、一度考えてみるのはとても大きな意義のあることでしょう。